生きるということ2007/07/15 21:54

ムラサキツユクサっぽいけど、ちがうでしょ。

 キリスト教会の礼拝に出た。奏楽をやっている。礼拝の始まる5分前から、前奏が始まって、司会者の聖書朗読の後、一曲賛美歌を歌う。今日は、一人の女性の証しがあった。

 主婦で、自閉症のお子さんを育てていらっしゃる方だ。以前、トム・クルーズとダスティン・ホフマン共演の「レインマン」を観たことがあったが、あんなものではない。子供が母の語りかけを無視し、自分の思うままに行動する。全く、コミュニケーションがとれないというのだ。

 腹を痛めて産んだ子と向き合って、話しができない。心が通わない。これは、体験した者でないと理解できない、孤独な葛藤だと思う。避けようにも避けられない、この現実と向き合っていかなければならない。途方に暮れるとはこのことだ。

 しかし、聖書の神への信仰がある。それが救いだという。自閉症の我が子と接していて、気づきが与えられたそうだ。いくらこちらが声をかけても、返事がない。無視する・・・。神と人間との関係も同じだというのだ。

 神がいくら人間に語りかけても、人間は、神などいらない、自分の力でやるのだと、神を無視する(これが聖書が示す「罪」だ)。それが、どれだけ神を悲しませていることかと悟ったいう。そうかもしれない。特に今の日本は、神を認めようしないために、倫理観が低下して、人を人とも思わない「心」の破綻した状態に追い込まれているのではないかと思う。

 神なくして、人は生きていけるのだろうか?神の声に耳を傾ける時が来ているように思えるのだが・・・。

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