かも2007/06/20 22:54

田圃でくつろぐカモ

 最近、かもが田圃の畦で戯れていることが多い。近くの川の護岸工事が進むにつれて、川の植生が変わってエサも減り、居心地が悪くなったのかもしれない。

 環境が変化すると、即、次の生きる場所を探し出す行動力は大したもんだ。悩んでいる暇などない。あっけらかんとしている。

 しかし、人間は悩む。この現代の急激な変化についていけず、時には犠牲者になったり、落伍者になったり、家族まで巻き込んで路頭に迷いかねない、不安定なご時世・・・。

 自分の人生が不本意な方向に、無理矢理曲げられてしまったりすると、あわてふためき、どうして?なんで?この意味するところは?と悩むのだ。納得がいかないと、いきなり硬直状態に入ってしまう。

 こういうときは、その試練とどう向き合うかが重要なポイントになる。視点を変えて、自分自身の成長の糧にするのか、いつまでも下向き加減で地べたをみつめているのか、途方に暮れながらも、「今日も空は青いなあ」と生かされている実感を感動とともに味わうのか。そこら辺で、何かが変わるのかもしれない。今、自分がそういう立場にいる。

シマリス2007/06/21 21:35

シマリス

 近くに「大崎公園」という市民の憩いの場がある。そこに小動物園があり、親子連れが鹿や山羊、羊、モルモットといったごく普通の動物を見て楽しんでいる。ありふれてはいても、やはり身近な動物は、眺めているとそれなりに心が和む。

シマリスもリス舎にわんさといて、忙しく走り回っている。よく見ると喧嘩も絶えないらしい。目のつぶれている者、耳がほとんどない者、毛の抜けている者など気の毒なリスも結構いる。

 写真のリスは、毛並みもよく整っていたので、カメラ目線になったところで、カシャッと一枚撮らせてもらった。もちろんポジフィルムで。大げさに言うと、これぞという時には、フィルムでないと写した気がしない。0と1に置き換えられたデジタルでは、作品というよりも、データでしかないという味気なさが残る。そして、実体のないものへの不安を生み出す。

 とかなんとか言いながら、どれだけデジタルの恩恵を受けているかしれない。ぼちぼちアドビのLightroomが欲しいんだけど・・・。

旧芝離宮恩賜公園2007/06/22 22:46

旧芝離宮恩賜公園

先日、浜松町の「旧芝離宮恩賜公園」に行った。一周20分ほどの小さな日本庭園だが、しばらく入園料を払って入るような公園に行っていなかったので、新鮮な気分だった。

 手入れが行き届いた園内は、近代的なビルに囲まれた公園とは思えないような別世界な雰囲気を醸し出していた。ちょうど、昼時だったので、サラリーマンやOL風の方が、弁当をもってひととき喧噪から離れて、静かに庭を見入っている様子だった。

 殺伐とした都会に昔からある日本庭園。向こうのビルは上から偉そうにこちらを見下ろしているようだけど、中にいる人間は、別の思いを抱いてこの公園を眺めているんだろうなあ。